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ガーナー (ノースカロライナ州) : ミニ英和和英辞書
ガーナー (ノースカロライナ州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ガーナー (ノースカロライナ州) : ウィキペディア日本語版
ガーナー (ノースカロライナ州)[す, しゅう]

ガーナー()は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州の中部ウェイク郡の町である。2010年国勢調査での人口は25,745人だった。2014年7月1日時点での推計人口は27,814人と増加している 。州都ローリーの郊外に位置している。
アメリカ合衆国行政管理予算局は、ローリー市・ダーラム市チャペルヒル市広域都市圏にガーナーも含めている。都市圏人口は2012年推計で1,998,808 人と200万人に迫っている。行政管理予算局は2003年6月6日に連邦統計地域を見直し、長年ローリー・ダーラム・チャペルヒル広域都市圏とされていたものを、2つの大都市圏に分割したが、現在でも1つの大都市圏として機能している。
== 歴史 ==
ガーナーは1847年に地域に鉄道が開通してから、町としての発展を始めた。同年、ノースカロライナ州議会下院で賛否同数となり、議長の決定票によって、現在のガーナーがある場所が、ノースカロライナ鉄道のゴールズボロシャーロットの間の駅を造る場所に選ばれた。「ガーナーズ・ステーション」は1878年に郵便局の建設と共に設立され、ガーナーズ・ステーションの町は1883年に法人化された。
ガーナーはセントメアリーズ郡区の中にあり、その名前はイングランド国教会の教区の名前から採られた。アメリカ独立戦争より前にこの地域に開拓者が入っていたことが知られている。1756年には既にパンサー・ブランチ郡区のガーナーより南にあった教会の文書化された記録がある。パーカー・ランドに拠れば、1759年、広さ3,000エーカー (12 km2) の土地が、国王ジョージ2世からランドの先祖に払い下げられたとされていた。この地域の一部が後に、ランズミルと呼ばれる町になった。ランズミル池が後にベンソン湖と改名された。1951年に拡張され、現在は貯水池として使われている。ガーナーはその始まり以来成長を続け繁栄した。1891年、ガーナーズ・ステーションの村がその認証を返上し、1905年にガーナー町として再度認証が申請され認められた。初代の町役人として、町長はJ・B・リチャードソン、町政委員としてH・D・ランド、J・J・バグウェル、H・ブライアン、M・C・ペニー、J・S・バッファローの5人だった。これらの役人は任期を1年間とされ、その後継者が選挙で選ばれ資格付けされまでるまでの期間とされた。
パーカー・ランドに拠れば、ガーナーはかつてこの地域に住み、後にテキサス州に移転した一家の名前を採用していた。別の説では、南北戦争後に鉄道に沿った土地を所有していた黒人の家具職人かつ大工だったヘンリー・フォートが名付けたというものである。ウィリアム・S・パウェルは、ガーナーが町の設立者H・C・ガーナーにちなんで名付けられたと言っている。「ザ・ステイト」紙の記事でもH・C・ガーナーを設立者として挙げているが、彼に関する情報はほとんど残っていない。
南北戦争の最終盤に、ガーナーでも戦闘が起きた。この地域で小競り合いが発生しており、ニュー・ベセル教会や「ガーナー」家屋に今も保存されている弾痕がその証拠である。「ガーナー」家屋は負傷した兵士のために病院として使われたと言われている。
戦後の時代は困難な状況にあったが、1878年までにこの小さな町にも郵便局を設置することができた。これが「ガーナーズ・ステーション」の名前が始まったときである。トマス・ビンガムが初代郵便局長だった。
1887年の日付がある古い地図では、ガーナーがホロマンズ道路とされる道路でローリー市と繋がれている。これは当時典型的な田舎道であり、舗装されたのはやっと1918年のことだった。小さなガーナーの町と州都とを結ぶ機能とは別に、その重要さはノースカロライナ州で最古かつ最長の回廊の1つであるセントラル・ハイウェイの小部分にされたという事実にある。
1920年頃、この道路はノースカロライナ州道10号線とされ、後にアメリカ国道70号線に指定された。州道10号線は州内で建設された最初の舗装道となり、高規格道路を建設するために最初に州が発行した州債で資金手当てされた。山と海を繋いだセントラル・ハイウェイは1911年に開通した。この中でガーナーからローリーまでの区間が1916年ないし1917年に舗装された。
サム・ミッチなーはぬかるんだ道路を通って第一次世界大戦に出征し、復員したときはそれが舗装されていたことを回想している。この道路の部分は今日、オールド・ガーナー道路と呼ばれている。
ガーナーの初期開拓者にとって農業が主要な収入源であり、綿花が主要作物だった。20世紀への変わり目に、幾つか小さな事業が発展を始めた。ガーナーで最初の企業はヘンリー・フォートが所有していた材木店だったと言われている。フォートは優れた家具職人かつ大工であったと言われており、彼が製作したワードローブ、タンスなどの木製家具は、今日でもガーナー住民によって使われている。町で最初期の雑貨店はトマス・ベネットが所有するものだった。その他の初期企業としては、H・D・ランドが所有していた商店、ジョージ・モンタギューが経営していた薬店、C・H・デュプリー・ジュニア、R・ガーナー、J・B・ホビー、J・R・ウィリアムズなどが経営した雑貨店数店などがあった。地域の雑貨店やコットン・ジンに加えて、鍛冶屋、修繕店、床屋、有料で馬(馬車)を貸す厩舎、寮などが存在した。1910年にはガーナーで初の銀行が設立された。H・D・ランドが頭取であり、J・A・ウェザーズ会計係だった。1912年、ガーナーに電話が引かれた。それから短い間に電話の加入者は10件にもなった。最初の交換機はベラ・ジョーンズの家で操作された。この電話は2年後に一旦閉鎖され、1924年に戻ってきた。ガーナーの企業と住民の生活はこの時代も着実に成長を続け、さらに最近では速度を増している。
ガーナーは人口が増え、住宅地が成長し、町の中でも司法権外の領域でも、事業やサービス業が成長を始めた。町の役人は、町が急速に成長し続けると予測した〔Town of Garner website, Town History〕。
2009年6月9日、コンアグラ・フーズの工場で爆発が起こり、屋根が一部崩壊した結果、労働者4人が死に、40人ほどが負傷した。
ガーナー町内にあるアメリカ合衆国国家歴史登録財としては、ガーナー中心街歴史地区、イーデンウッド(家屋)、メドウブルック・カントリークラブがある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ガーナー (ノースカロライナ州)」の詳細全文を読む




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